ニュースを見ていたら、幼児のインターナショナルスクールのことをやっていましたので、それについて少し自分の話をしてみたいと思います。

幼少期の英語との出会い

私が子供の頃、家庭は裕福で(今は違いますが)クリスチャン系の私立幼稚園に通っていました。

そこにはネイティブの英語の先生がいて、英語の授業はとても楽しいものでした。

公立小学校での英語にまつわるいじめ

しかし、公立の小学校に上がると、英語を話せることがいじめやからかい、妬みの対象となってしまいました。

幼児英語なので大した会話はできませんでしたが、英語が少しできるというだけで「自慢している」と受け取られてしまったのです。

英語塾での失望

両親は、私が身につけた英語を忘れさせないようにと英語の塾に通わせてくれましたが、塾の授業は全く面白くありませんでした。

テンションが高すぎる幼稚な歌や遊び、そして日本人の先生による厳しい文法指導が辛かったです。

担任の嫌がらせ

さらに、小学校の担任は私が英語の塾に通っていることを知り、嫌がらせを始めました。

わざと居残りさせて塾に遅れさせたり、「英語で話してみろ!」と威圧的に迫ることもありました。

その結果、小学校低学年の時点で英語が大嫌いになってしまいました。

英語の幼児教育の効果

私の経験から言えば、幼児期の英語教育がどれほど効果があるかは疑問です。

少なくとも私の場合、使わなければすぐに忘れてしまいました。

高校での再出発と新たな視点

高校に進学してからも英語は嫌いでしたが、オーストラリアからの帰国子女がクラスに入ってきました。

その子の英語はとても知的で素敵で、初めて「英語を話せることは恥ずかしいことではなく、かっこいい」と思えるようになりました。(その子とは後に”連れ”と呼ぶ親友になりました)

が、残念ながら学校の英語の先生は劣等感からか、その子をあえてみんなの前で話させては、オーストラリア訛りを指摘して辱めました。

英語への嫉妬と日本人の狭量さ

先生が帰国子女の発音をからかい、みんなで笑う姿を見て、「英語ができる人に対する嫉妬や冷やかし」という日本人の狭量さを痛感しました。

当時は昭和の時代でしたが、今ではこうした行為は大炎上するでしょうね。

大学での言語選択とその後

大学では、英語が嫌いだったため、第一外国語にフランス語、第二外国語にロシア語を選びました。

結果として、多言語に触れられたことは良い経験になったと思います。

30歳を過ぎてからあるきっかけで英語を猛勉強し、外国人選手のエージェントや記者会見通訳の仕事にまでたどり着くことができましたが、それはまた別の話です。

幼児からの英語教育の限界と学習方法の重要性

「幼児から英語を習っていたから英語ができるようになったのでは?」と思われるかもしれませんが、それは違います。

むしろ、学習の方法を知ったことが大きかったでしょう。

もし英語が嫌いにならなかったら、もっと上達していたかもしれません。

言いたかったこと

今回の話で伝えたかったのは、

幼児期から英語を習ったからといって必ずしも効果があるわけではなく、良いことばかりではなかったということ。

大人になってからでも英語をマスターすることは十分可能だということです。

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