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『フィクションは必要』だと正当化してみる

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以前、かなり昔、20代くらいの私は、ドラマや小説のようなフィクションなど必要ないと思っていました。
空想、現実ではなく、見ても時間の浪費になるだけ、何の意味もない。

それよりニュースやドキュメンタリーを見よう、世界の真実を知ろうと、
英語も勉強し、原文にあたり、さまざまなことを知ろうと思いました。
そして人にもそれを知らせてあげようと。

それが自分の将来の幸せにつながり、自分のためになると思っていました。

結果は、そうはいきませんでした。

ネガティブな情報ばかりではないですが、大半が、ネガティブなものです。
世界の知られざる不幸、毎日起こる事件、事故。
そのような情報に毎日大量にさらされていることは精神衛生上良いとはいえない気がします。

有名なブログ、Zen Habitsの著者、レオ・バボータ氏が以前書いていました。
ニュースは見る必要がない、自分にとって重大な情報は、いやでも入ってくるからあえて見に行かなくても良い。

私も最近はそう思います。

毎日の災害、事件、遠く自分にかかわらない場所の情報を知り、次は自分の身に起こるのではないかとおびえて暮らすことが幸せなのでしょうか?

病気が早期発見できる現代、果たして人は昔の人より幸せになれたのでしょうか?
自分が病気に侵されているのを知ることによって、その不安を感じている時間がより長くなったのではと思います。

動物は今のことしか考えていないので、その場その場を全力で生きられます。

私も、明日死ぬことを考えず今全力で楽しむことのほうがいいのかなと。。

とはいいつつ、何も考えず貯金をはたいてしまうと困るわけなのでほどほどにしないとですけど。

とにかく、最近はあえてほどんどニュースを見ないで、ドラマやフィクションに没頭しています。
未来は明るいかもしれないという幻想を抱くために。

昔よりストレスなく、毎日が楽しい気がして、それが結果仕事などのモチベーションにつながってるように考えています。

根拠もないけど未来はたぶん大丈夫、そんな気持ちになれば財布のひもも緩み、経済の発展にもつながるんじゃないかと思います。