録画していたのを初めてみました。
見たかったソウル大学のキム・ナンド先生の講義です。
「つらいから、青春だ」を読んで、読んでいる間は癒されるけれど、そのあと具体的にどうすればいいのか、その内容を詳しく掘り下げてくれていました。
就職進路に悩む学生向けの講義ですが、私のような大人?にも参考になる話でした。
収入の低いほうを選べ
将来性のないところを選べ
親や婚約者が反対する職場なら間違いない
・・・など、承服できなかったこともなぜそうなのかが納得がいきました。
今の時代、一生安心のエスカレーターはない。大企業に入っても保障はされない。
一歩一歩階段を登るように進んでいけるところがよい。
最初の就職が大事なのではない、一番大切なのは最後の職業だ、と。
私が人生最後から逆算して、最後の職業は何がいいのか、そう思うと、これから先の道がすこし見えてきた気がします。
若者はスマートフォン、学んでいろいろ試さないのは、高機能のスマートフォンを通話にしか使わないのと同じだという話。
スペック(性能)ばかりを追いかけてしまうが、大切なのは専門性だという話もありました。
皆が鴨(飛べて、陸も歩けて、泳げる鳥)になりたがっているが、飛ぶだけなら鷲のほうがいいし、泳げるだけならクジラのほうがいい。
あなたが社長なら飛ぶ仕事は鴨でなく鷲に頼むだろうと。。
これはすこし、耳が痛かったですね。私は完璧に鴨なので。。
何かひとつ、芯となるものを作れということでしょうけれど、今この年から何ができるのかと。
自分の全盛期は何歳なのか、が第一回講義のタイトルでした。
学生は28歳~30歳が自分の全盛期になるだろうと答えていましたが、30歳以上の人は「人生は60歳から」「45歳の今が全盛」と答えていました。
私の全盛期はいつか、30歳あたりが振り返ってみれば全盛だったような気がしますが、もしかしたらこれから先があるのかもしれません。
子供が手が離れた今からこそが全盛期なのかも。
子供の教育費がこれから先まだ少しかかるものの、ある程度のたくわえと先がみえた今、学生時代よりも不安なく「収入の低い」「先の見えない」「親が反対する」職業を選べるときかもしれませんね。
成功した母親とは
ソウル白熱教室の第3回は「名前をなくした女性達」というテーマでした。
女性は結婚して子供を産むと、自分の名前で呼ばれることはなくなります。
○○さんの奥さん、○○ちゃんのお母さん。
成功した母親とはどういう人ですか?というキム・ナンド教授の問いかけに
韓国聴講生は「子供をいい大学に入れた人」と一斉に答えていました。
そう、子供をいい大学に入れることができれば、母親としてはある程度認められます。
私はかなり母親失格な人間で、かなり好き勝手にやってきましたが、子供が「いい大学」に入ってくれたおかげで、私は「いい母親」扱いをされ、今までやってきた破天荒?なことも「子育ての極意」のように捉えられるように。
まるで人が私を見る目がかわりました。
そのことについて、もちろん嫌な気はしませんが、違和感を感じます。
私のおかげではなく、何より子供自身ががんばったので、いい大学に入れたのであって、それは私の成果ではなく子供の成果なのです。
振り返れは自分は何も成していないのです。
たしかにサポートはしてきたかもしれませんが、自分が履歴書にかける経歴ではありません。
子供が大学に入るまでは、自分もまるでそれがゴールかのように思い、それが終われば自分の自由がくるかのように思ってもいましたが、今それが終わって、ふと気が付くと、この先私に何があるのでしょうか。
大きな、自分の、主体的な目標というのがなく、あとは「安定した老後」くらいの、あまりわくわくしない目標しかないのです。
このことについては、もう少し考えていこうと思っています。